今から約二六〇年前の江戸元文年間に、京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重という人が、神具の柳筥を作った余材に、木彫をほどこし、そこに溝を掘り神官の衣装の端裂をきめこんだ人形を作りました。
柳の木の風合いを活かした小ぶりの人形は、「加茂人形」、「柳人形」とも呼ばれ評判を呼び、後に江戸においても大いに珍重されました。これが木目込人形の始まりとされています。
今から約二六〇年前の江戸元文年間に、京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重という人が、神具の柳筥を作った余材に、木彫をほどこし、そこに溝を掘り神官の衣装の端裂をきめこんだ人形を作りました。
柳の木の風合いを活かした小ぶりの人形は、「加茂人形」、「柳人形」とも呼ばれ評判を呼び、後に江戸においても大いに珍重されました。これが木目込人形の始まりとされています。