袋井市のH様は美しい破魔弓飾り

こんにちは、人形の秀月 十七代目です。

袋井市のH様より、美しい破魔弓飾りをお選びいただきました。

H様はご家族皆さんでご来店され、何気に展示してある能人形をご覧になりお父様が「うちは30年くらい前にこの子のお雛様を秀月さんで買わせていただいただけどさ。七段飾りで真ん中に能舞台があって、この能人形があるだよ。下は庭みたくなってて、鍋みたいなのをこう三角形の棒に掛けてあって、牛車もお付きの人が二人居て、総勢20人位いるだよ」と。

そのお雛様を贈っていただいたお嬢様が、お子さんをお生みになってご来店くださいました。

本当にありがたい事です。

先ず、この能舞台のお飾りは十五代目の祖父が考案したとされていて、伝説のお飾りでオリジナルはもう手に入りません。

下が庭みたくというのは白い砂利の様なものが敷いてあり、そこで料理をしていたりと、まさに伝説のお飾りですね。

現在ではまず見かける事も無く、もちろん幾らお金を出しても制作する事もできませんので、ある意味とても貴重なお飾りです。

そのお飾りというと、袋井店の五階建てのビルが出来る前の平屋の上品な店舗で、ちょうど十五代目の祖父から十六代目の父に代替わりした時ですね。

こちらは50年前のチラシを、別のお客様がお持ちいただいたのですが、左が工房と事務所で右側の平屋が店舗です。

看板も絵もそのままで、当時にしたら巨大で尾山人形のアップで、随分とハイカラな看板で目立っていたと思います。

こちらは地図ですが、当時の事をご存知の方でしたら、現在の袋井グランドボウルがニチエーボウルだったり、青果市場があそこにあったこと自体も忘れられる程ですので懐かしと思います。

敷地内にある十五代目の家は、平屋で全て自身で綺麗に手入れされ、庭にはきちんとお稲荷さんもありましたね。

その店舗のお人形で、H様の様に特注クラスとなると・・・五階建てのビルの頃とはまた別の意味でのかなり高額なお雛様です。

そして、H様ご一行がご来店され一番最初に目に入った破魔弓飾りがこちら。

「こういうのは見たことがない。変わっててお洒落でいいな」とお気に召され、瞬時にお決めになられました。

こうして昔からご来店される上得意様・お得意様は、秀月のお飾りがどういった物でどういった価値かもお分かりいただいているので。

こちらの破魔弓飾り、平安時代の蜻蛉(かげろう)日記に「帳の柱に結い付けたりし小弓の矢とりて」とあるように、弓矢は魔除けの神聖な力を持つものとして飾られていました。

現代でも、お正月に神社で縁起物として破魔矢が配られますが、ことに初めてお正月を迎えられる男の子には、健やかなご成長を願って、ご家族から弓矢を組み合わせた破魔弓が贈られる習わしが広く伝えられていますね。

こちらの破魔弓は、古典的な破魔弓飾りを現代のご家庭でもお飾りいただけるよう、こしらえさせていただきました。

お飾りの時期の後は、弓矢を取り除いて一輪挿しの生花などを生けていただくと、それはそれでまた違う大変美しいお飾りへと変化しますので。

お聞きすると、現在お家を建てられていて和風のこだわったお家だそうで、ぜひ私も拝見させていただきたいと思います。

お父様は「次は五月人形だで兜かな・・・」とおっしゃっていましたが、すかさず「鎧の方が映えるのでは?」と笑い盛り上がりました。

その後も、そのお雛様の話題で盛り上がり、「とにかく今はもう手に入らないお飾りですよ」とお話しすると、「じゃ今年、久し振りに飾ってみようかな」と。

滅多にお目にかかれるお飾りではありませんので、風を通す意味もあり是非お飾りしてあげていただきたいですね。

その間も、お父様は嬉しくてたまらないご様子で。

そのお気持ち、よく分かります。

H様この度も、誠にありがとうございました。

お子様のお守りとして、末永くお飾りいただければなによりの喜びでございます。

破魔弓をお飾りする理由は、きちんとあるんです。

十七代目 人形の秀月は皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

伝えたい日本の心 美しい伝統
人形師 甲冑師 十七代目 人形の秀月

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